人間椅子について

映像

  • 遺言状放送
  • 怪人二十面相
  • 見知らぬ世界
最初は全てVHS版で発売されました。
「遺言状放送」は無変更でDVD再発。
「見知らぬ世界」にはビデオ以後に発売された楽曲「東洋の魔女」と「洗礼」のPVを新たに収録して再発。
「怪人二十面相」は再発されていません。
  • みうらじゅんのマイブームクッキング2 Vol.2
「参鶏湯」の回にメンバー全員が登場  

書籍

  • ブリティッシュ・ハード・ロック(シンコ—ミュージック・エンタテイメント刊)
和嶋さんと鈴木さんによるディスクレビューが掲載されています。
  • バンド・スコア 人間失格
    • 現在では廃盤

雑誌

  • 高円寺フリーペーパー「SHOW-OFF」
ナカジマノブによる「エンジーかけこみ寺っ!!」連載あり。 VOL.22ではメンバー全員が表紙に登場しました。    

TV番組

  • 人間椅子倶楽部(1995年7月 – 1999年4月:毎週日曜24:30 – 25:00)
    • 地元青森ローカルで放送されていたテレビ番組です。 弘前のライブハウス「亀ハウス」にて収録されていました。 前半はメンバーのフリートーク(視聴者からの葉書が読まれることもあった)、後半はスタジオでの演奏、という構成でした。
私の地元の放送局に 地元のライブの前後どっちかに テレビ出演されたことがあります。 視聴者プレゼントがあって、1名様限りのポスターが当たったことがありますが、 応募者が少なかったからでしょうか? いや、運がよかったからでしょう。   ウィキペディアを参考にさせていただきました。

上館徳芳

第一期ドラムス(1987年 – 1992年)
コージー・パウエルに影響を受けていて、重いタイム感と抑制された手数で、
鈴木さんのうねるようなベースラインと非常によい調和を醸しだしていました。
人間椅子の楽曲の作詞・作曲はしませんでした。

 

後藤マスヒロ

第二期・第四期ドラムス(1993年 – 1995年・1996年 – 2003年)
他の歴任者と比較して手数足数が非常に多く、
人間椅子の持つプログレ的感触をたくみに引き出すのみならず、
スローなナンバーにおいても不即不離のまま躍動感や細かなニュアンスを付加するなど、音楽性への貢献も大きかったです。
The ピーズ脱退後、4枚目のアルバム『羅生門』にサポート参加。その後は7枚目『頽廃芸術展』から『修羅囃子』までは正式メンバーとして参加し、幾つかのレパートリーの作曲やリードヴォーカルも担当しました。
ライブでのはボケ役としても活躍しました

 

土屋巌

第三期ドラムス(1995年 – 1996年)
テクニック的には他のプレイヤーに譲るが独特の味わいが濃く、
和太鼓のような溜めを効かせたプレイで参加作品に特に色濃かった「見世物」や「和」の要素を演出しました。
『踊る一寸法師』『無限の住人』の二作に参加しました。
その後引き継がれる「ドラムスが歌う」スタイルはこのラインナップでの楽曲「三十歳」が嚆矢です。

 

ウィキペディアを参考にさせていただきました。

ナカジマノブ (なかじま のぶ)(ドラムス&ボーカル)

・本名 中島慶信(なかじま よしのぶ)

・誕生日 1966年9月20日

・出身 東京都杉並区

・愛称 「ノブ」あるいは「ノブさん」、「お兄ちゃん」

・血液型 A型

・星座 乙女座

・好きなもの ハンバーグや肉のほか、日野日出志、時計集め、おもちゃ集め等々

2代目イカ天キング GENの元メンバー
イカ天の審査員もしていました。

ドミンゴス解散後、2004年6月に人間椅子のドラマーとなりました。

シンプルなセットから繰り出すラウドでキレのいいドラミングは魅力です。

前任のマスヒロさんとは全く違ったタイプのドラマーで、ロックン・ロール的ノリが得意とされています。

したがってノリのテンションの高さはピカイチで、絶叫シャウトも絶妙です。

また、三者ともボーカルもやっていますが、ノブさんのスタイルは、
二人と比べると滑舌が良いので、それを活かした明朗なスタイルです。

ノブさんは歌がうまいので、和嶋さん作詞で鈴木さんが唄っていた「道程」を、

和嶋さんと鈴木さんからの申し出てノブさんの定番になりました。

「ドラマーも唄う」人間椅子の伝統は、またノブさんにも引き継がれました。

・性格 あの天真爛漫な和嶋さんが「…子供っぽい?」と言うくらい、人間椅子史上初の非常に明るい前向きな人です。

・その他の活動 「ナカジマノブの音楽侍」(埼玉テレビのお昼番組「ひるびん」の1コーナー)で、コーナーの司会を担当しています。

ソロライブや、「華吹雪」ほか多数のバンドに参加しており、
月に10 本以上のライブをこなすこともあります。

 

ウィキペディアを参考にさせていただきました。

鈴木研一(すずき けんいち)(ベース、ヴォーカル)
・誕生日 1966年ひのえうま3月11日
・出身 青森県弘前市
・血液型 A型
・愛称 「研ちゃん」
・星座 魚座
・出身中学 弘前市立第四中学校第
・出身高校 青森県立弘前高等学校
・出身大学 上智大学外国語学部ロシア語学科
・好きなもの パチンコ、鉄道、甘いもの、ねぷた、松嶋菜々子、虫、ゲーム、ホラー映画
・嫌いなもの きのこ、ブルース
・好きなバンド KISS,BUDGIE,BLACK SABBATH
・尊敬するアーティスト OZZY OSBOURNE
・デビュー前に作ったオリジナル曲 「デーモン」

空手を習っていたこともある。

3ヶ月おきに高円寺SHOW BOATで行われるDJイベント「ハードロック喫茶ナザレス」のマスターでもあります。
素の鈴木さんと接することができる貴重なイベントです。

イカ天では、鈴木さんが着ていた衣装は、使い古して灰色になった鈴木さんの布団の敷布を使って作ったもので、ねずみ男にしか見えませんでしたが、
ジェネシス時代のピーター・ガブリエルを意識した物だったそうです。

二枚目のアルバムぐらいから『ステージでは着物で白塗り』でした。

着物は、長身なため、たいてい手作りで、柄も人魂や蜘蛛、星など
自分でデザインした物が多いようです。

そして 下着は、褌と決まっていました。

2004年末、それまでずっと保ってきた長髪をばっさりと切り
剃髪してしまいました。

2005年以降、ステージングは全て白塗りの僧侶の姿です。

歪んだうねるベースも個性的で重要な人間椅子サウンドを担っています。

そして、重くおどろおどろしい世界の歌詞は鈴木さん特有のものがあり、
また、コミカルな内容の詩も、これまた鈴木さんらしくていい味を醸しだしています。

楽器にも負けないこぶしの効いたヴォーカルは、これまた表現力豊かで、
おどろおどろしい叫び声、邪悪な笑い声、時には裏返るヴォーカルなど、
楽器顔負けです。

人間椅子では、自分で作った楽曲は自分で歌うのが鉄則ですが、
鈴木さんの楽曲は、妖しくヘヴィなものが多く、
歌詞は、分かりやすい言葉で おどろおどろしい独特の世界観を表現しています。

・性格 弘前人らしくがんこ。
しかし、ステージでは強面ですが、えくぼがあり、笑顔はとても可愛いです。
人当たりも良く、ファンに対しても優しく とても気を使ってくれます。

 

公式のHPや、ウィキペディアを参考にさせていただきました。

和嶋慎治(わじま しんじ)(ギター&ヴォーカル)
・誕生日 1965年12月25日
・出身 青森県弘前市
・血液型 B型
・利き手 左利き
・愛称 「ワジー」 メンバーは「和嶋君」と呼んでいる
・星座 山羊座
・出身中学 弘前市立第三中学校
・出身高校 青森県立弘前高等学校
・出身大学 駒澤大学仏教学部
・お父様の職業 国語教師
・きょうだい お姉さん
・好きな音楽 ビートルズ、ロバート・フリップ、ジミー・ペイジ、トニー・アイオミ プログレ、ロックンロール、ブルース
・好きなもの お酒、エフェクター制作、ワイドショー、UFO,稲川淳二
・愛読書 月刊ムー/学研ムー
・参加ユニット 「和嶋工務店」(『夜叉』の山本征史さん、『HYPE』の金光健司さんとのユニット)パーマネントで活動中。
寅壱スタイルと現場小芝居でキメたブルースバンドです。
『ルシール』(元マルコシアス・バンプのアキマツネオさんとNEWSの竹山菜穂子さん、MASAMIさんとのユニット)はキャロルのコピーバンド。
いかに暑くても革ジャンを脱いだら負け犬という厳しい掟が(笑)。
「華吹雪」「くじら日和」

・デビュー前に作ったオリジナル曲 「踊り姫」

中学生の時は、すでにギターの腕は秀でていて、
弘前では、右に出るものがないくらい上手かったらしい。

本人いわく「あの時が一番うまかったかも」

・髭なし和嶋 イカ天に出演当時は、まだ髭をたくわえていなかった。
いかにも文学青年風の好青年で、「髭なし和嶋」ファンも多い。

・髭を生やした理由 鼻の下が長く スケベ顔に見えるから。

・和嶋ギター ロバート・フリップ、ジミー・ペイジ、トニー・アイオミなどから影響を受けた独特のギター・スタイルは、ずっしりとした重いリフを奏でるが、
時には小気味良い激しい津軽三味線を彷彿させたりもします。

ギターテクニックはさながら、ギターを口で弾いたり、頭の後ろで弾いたりと
魅せてくれます。

私は、「和嶋ギター」に惚れています。人格を持っているように感じます。

歌は、お世辞にもうまいとはいえませんが(すみません)
切迫感の漂う歌い方は、「不安」感漂う 和嶋氏独特の詞の世界観を
表現しているように思います。

その他、台所の三角コーナーにキャベツの花を咲かせたというエピソードもあります。

また、自分のライブの会場へ行く交通費がなく、ファンからもらったビール券をお金に替えて、やっとライブ会場に行けたという話もあります。

私は和嶋氏の歌声は好きです。

文学青年であった和嶋さんは、詞を書くのにも彼独自の世界観があり、
人間椅子を「人間椅子」たらしめるものの大きなウエイトを占めていると思います。

・性格 一見 おとなしそうで、人畜無害っぽく見えますが、
実は一線を越えなかったのは「バンド活動のおかげ」と本人が話しています。

 

公式のHPや、ウィキペディアを参考にさせていただきました。

名前の由来

バンド名「人間椅子」は、江戸川乱歩の小説「人間椅子」からいただいたそうです。
「人間椅子」という名前の前は、「死ね死ね団」という名前のバンドでした。

それは、鈴木さんと和嶋さんが大学卒業後、東京でバンド活動していた時のバンド名
レインボーマンという特撮番組の敵組織名に由来としているそうです。
しかし、「大日本帝国初代新所沢愚連隊死ね死ね団」という名前のバンドがいることがわかり、
「人間椅子」に改名したそうです。

バンド名をかえる時、江戸川乱歩の小説「ペテン師と空気男」も
候補として挙がっていましたが、後にベ ストアルバムの名前に使われました。

命名したのは鈴木さんで、和嶋さんは、そのベストアルバムの
ライナーノーツで、鈴木さんを「ペテン師」、和嶋さん自らが「空気男」と位置づけていると書かれています。

なお「人間椅子」と「死ね死ね団」は、2007年7月・新宿ロフトでの
「猟奇大作戦〜赤い夕陽が校舎を染めて、お前の額に釘を打つ」
で共演しました。
「死ね死ね団」も、長く存続しているバンドなんですね。

 

ウィキペディアを参考にさせていただきました。

人間椅子(にんげんいす)とは、1987年に青森県弘前市で結成された3人構成の日本のロックバンドです。

ギタリストの和嶋さんとベーシストの鈴木さんは、青森県弘前市で
中学生の頃(和嶋さんは市立第三中学校、鈴木さんは市立第四中学校)
から交流があり、高校が同じ青森県立弘前高等学校になったことで、
より親交が深まりました。

和嶋さんのお父さんは国語の教師ということもあり、
幼い頃から文学少年だったそうです。また、お姉さんの影響で
ビートルズを聞いたりギターに触れたそうです。

和嶋さんのデビュー前に作ったオリジナル曲は、
フォーク調のラブソングの「踊り姫」で、
鈴木さんが言うには「進む道を誤ったかもしれない」佳曲だそうです。

鈴木のデビュー前に作ったオリジナル曲は「デーモン」で、
これは、倫理教師だった友人のお父さんの蔵書から歌詞を引用したものだそうです。
そして、それは、後の「マンドラゴラの花」のリフに発展したそうです。
青森県で放送されていたテレビ番組「人間椅子倶楽部」にて、その演奏されました。

高校卒業後、和嶋さんは駒澤大学仏教学部に、
鈴木さんは上智大学外国語学部ロシア語学科へと、
2人は別々の大学へと進学しましたが、
親交が途絶えることはありませんでした。

大学では、和嶋さんは駒沢大学「仏教青年会」に所属し、
鈴木さんは人形劇サークル「チロリン村」に所属し、王子様の役を担当したこともあるそうです。

和嶋さんは、大学卒業が間近となっても就職先が見つかってなく、
レコード店でブルースのレコードを物色している時に
就職活動帰りの鈴木さんと偶然出くわしました。

そして、鈴木さんが「和嶋ァ、わ、やっぱり就職やめで、バンドやるごとにしたじゃあ」と言い、本格的な音楽活動に誘ったそうです。

ちなみにこのとき鈴木さんは日立建機に就職が内定していたにもかかわらず、それを蹴ったそうです。

1987年に、「死ね死ね団」という名のバンドを結成しましたが、
「人間椅子」に名前が変えられました。

1989年、TBS系列で放送されていた深夜番組
「三宅裕司のいかすバンド天国」に「人間椅子」出演し「陰獣」を演奏しました。

その時鈴木さんが着ていた衣装は、使い古して灰色になった鈴木さんの布団の敷布を使って作ったもので、ねずみ男にしか見えませんでしたが、
ジェネシス時代のピーター・ガブリエルを意識した物だったそうです。

それで、色物バンドと思われましたが、非常に卓越した演奏技術を見せつけ、辛口の審査員たちからも番組史上でも数少ない“青ランプ連発”で絶賛され完奏しました。

なおこのとき審査員たちが彼らの音楽に対して「文芸ロック」という呼び名をつけました。

バンドブームに乗じて 日本で数少ない70年代基調のハードロックバンドとして認知されましたが、ブーム終息後は、ドラマーが代わったり、インディーズでの活動を余儀なくされました。

しかしアウト・オブ・デイトな音楽性を堅持し続けながらバンドは存続し、結成から二十五年を経た現在もコンスタントに活動中です。

 

ウィキペディアを参考にさせていただきました。
1989年 平成元年、TBSテレビ系列の「平成名物TVイカすバンド天国」に出演。 演奏もさることながら、鈴木さんのネズミ男に扮した奇抜な衣装が評判を呼んだ。 
1990年 7月、メルダックより「人間失格」でメジャー・デビューを果たした。 
1992年 この年発表の「黄金の夜明け」を限りに、ドラマーの上館徳芳さんが脱退。 
1993年 「羅生門」発表。ドラマーの後藤マスヒロさんがサポート・メンバーとして参加。 
1995年 インディーズ・レーベルであるフライハイトより、「踊る一寸法師」を発表、ドラマーは土屋巌さんとなる。 
1996年 月刊アフタヌーンに好評連載中の漫画「無限の住人」のイメージ・アルバムが、ポニー・キャニオンよりシングルともども発売される。 このアルバムのツアー前に、土屋巌さんが脱退。 正式メンバーとして、後藤マスヒロさんが再加入することになる。 
1998年  2月、トライクルより通算7枚目にあたる「頽廃芸術展」を発表。 録音は、メンバー2人の地元である青森県弘前市のライブハウス、Mag-Netと亀ハウスで行われた。 7月、メルダックより旧譜4枚が揃って再発、これを機に再びメルダックと契約を交わす。 
2003年 11枚目のオリジナルアルバム、「修羅囃子」発表。 12月、渋谷O-Westでのライブを最後に、後藤マスヒロさんが脱退。 
2004年 6月、ドミンゴス等で活躍中のナカジマノブさんが、新ドラマーとして加わる。 9月、オリジナルアルバム「三悪道中膝栗毛」発表。精力的にライブ展開。 
2006年 2月、オリジナルアルバム「瘋痴狂」発表。 
2007年 8月、オリジナルアルバム「真夏の夜の夢」発表。   
2008年  年頭から精力的にライブ展開。 全国ツアーも大盛況のうちに終了(ツアーファイナル、3/16@O-EST)。 12月14日~19日、東名阪の3カ所ワンマンツアー。 
2009年  1月21日 デビュー20周年にあたるこの年に 「人間椅子傑作選~20周年記念ベスト盤」をリリース。 11月、15枚目にあたるオリジナルアルバム「未来浪漫派」発表。 
2010年 4月12日~15日、東名阪ワンマンツアー。

 

公式のHPや、ウィキペディアを参考にさせていただきました。
● 1999/4/27 岡山 ペパーランド

 うっしゃー、この日は、朝から、大張り切り。お天気は、ピーカン(死語?)
汗ばむような陽気。

大荷物、持っていくのに、雨降らなくてよかった。今日も「晴れ女」の勝ち~!!!

ネット上の要人をお泊めするのに、とうとう、かたづかないままお迎えに。

岡山駅にて、車にお乗せし、岡大に、車を置かせてもらって、
大荷物を手に、いざペパーへ!!

 大荷物、お察しの通り、我が家のSGです。
この日が来るのがどんなに、待ち遠しかったか・・・・・

そうこうしているうちに、あちこちで、知り合いになった方々が、集まってこられ、しばし、
楽しいひとときを過ごさせていただきました。

椅子のファンの方々って、いい方ばかりですね。
仲良くさせていただいて、ありがたい限りです。

 ペパーランドのスタッフの方もいい方で、
椅子を並べますから、くつろいでてください」って。

 と、突然、いいのかな~、あんなところに、お車止められて、
みなさまでお食事ですか?

みんなで、そこに、知らない顔して、食べに行こうかとか、言ったりしていましたが、いやいや、そんなこと、いたしませんとも。

 しばらくして、歩道の向こうから、メンバー様達が、
ゆっくりとこちらに向かって、歩いていらっしゃいました。

おーーーっ、世紀の一瞬だーーーっ!! 
マジックはどこだーーー!!
マジック、マジックと、かなりあわてふためいていたそうな。

先頭は、鈴木さん。でも、
間近で面と向かうと、固まってしまい「がんばってください」
の一言も発することができなかった。

 その後ろ、10歩くらい離れて、ギタリスト様がいらっしゃったのです。

おそれ多くも、SG、そしてハードケースにまで、サインしていただきました。
ありがとうございました。
我が家の家宝とさせていただきます。

MC中心のライヴ日記です。さらっと読み流してください。


● 1999/4/25 福岡 Be-1

ライヴの10日くらい前に、「新譜からイメージしたものをデザイン化して、
Tシャツに直接描こう」と急に思い立って、手芸屋さんに直行し、
とりあえず、材料(絵の具2色等)を買ってきました。

まず「黒い太陽」。
心の中の邪悪な部分をイメージし、左の胸あたりに、黒い太陽を殴り描き、
なんだか、新進気鋭の画家になった気分。(^-^)
(ただの殴り描きの落書きなのに)

 これに、気をよくして次は「蟲」。
しかし・・・・・ポケット付いてる(;;_;) 
ポケットに、蟲でも忍ばそうかとも思ったけど、却下。

これは、文字をデザイン化。
真ん中を、みみずみたいなのにして、あとは、殴り書き風に。
ぶっつけ本番で描いたから、ちょっといびつになったけど、
「蟲だ~~!!!」と叫びたくなるので、OKと。

 最後まで、全くイメージがうかばなかったのが、「不眠症ブルース」。
羊をいっぱい描いてもな~。

もう、脳味噌腐ってる。 いいのが思いつかない。

で、三日月の太い形の中に、いろんな大きさと色の羊の文字を書いて、
どうにか完成と思いきや、
のりが!!! でも、ひょうたんからこまで、それも、おつな味に。ふぅっ~。

 ところが、このおばさん、ただじゃ すまない。
毎回、自分のライヴ衣装がないと気がすまないらしい。

自分 ひとつは「黒い太陽」のキャミバージョン。

あとひとつは「恋は三角木馬の上で」
これは、十字架と三角木馬(木馬を三角にしたもの)を組み合わせて、
得意の血吐きをあしらったもの。
妙にかわいく仕上がったのだ。自己満足、(^-^)


 待ちに待ったライヴの日、30分違いで入りに間に合わず。
それに合わせたように、冷たい風が吹く。

お天気は、良かったけど、ちょっと寒いかなって程度。
かろうじて「晴れ女」の威厳を保つ。

この日は、福岡在住の、偶然同郷の方(人間椅子ファンでない方)を
お誘いしてのライヴ。

番号も、その方にあわせて、後ろでおとなしくしておこうと思ってたのに、
1曲目の「幽霊列車」が始まるやいなや脳の回線ブチ切れてしまった。


 鈴木さんは、濃い紺色のお着物(だったっけな~)、
マスヒロさんは、黒いタンクトップ(だったっけな~)、
和嶋さんは、シースルーじゃなくて、ぐんじょ色より青紫がかった、
レーシーなアンサンブルの出で立ち。


2曲目の「賽の河原」が終わったところで、MC
会場内は、すでに熱気がムンムン。
眼鏡がすぐ曇るみたいで、何度も何度も眼鏡をはずして拭かれる。
(この日は後ろ向きで)

前の晩の和嶋さんの夢の話。
「ライヴの最後に山崎まさよしさんが作った「セロリ」
研ちゃんが歌ったら、お客さんが、どんどん出ていってしまって、
アンコールがなくなった」という話。

あ~、個人的には、ちょっと聞いてみたい気もするんだけどな~。
ちなみに、マスヒロさんの夢は「楽屋にいたら、いつの間にかライヴが始まってた」夢で、
鈴木さんの夢は「いつになっても針の山が終わらない」夢。

散々テンポが狂って、失敗するというような夢をみることを
蟲の知らせとも言うということで、3曲目の「蟲」に、みごとに、
結びついた。

 先ほどのほほえましいMCとうってかわって、激しいがテンポが小気味よい演奏に、会場はドッと盛り上がり、
団子蟲の集団が一気に突進し、リズミカルに動めいているような様子に。
そして、4曲目の「曉の断頭台」へと続く。


さて、待ちに待ったマスヒロさんのMC
「7拍子のななって、いいではないですか」に、
鈴木さんすかさず「確率変動」に結びつけたがる。

千葉ルックでの「岡田ナナ」「木の実ナナ」発言も、「7」が付く言葉だからってことで、
あと、車の中でも、「なな探し」が行われてたみたいで「ななやまぶしこう」とか(笑)

 マスヒロさんが、和嶋さんに聞きたいことがあったらしく、
「都会の童話は、最初、都会の変態だったそうですが、登場人物の三人の中で、誰が変態なんですか」と。

ところが、この「変態」は、和嶋さんいわく、
「移りゆく様」の意味だそうで、なんともかんとも、
マスヒロさんの勘違いで、客席をみごと引かせてしまった。


 ここで、マスヒロさんの初参加楽曲である5曲目の「都会の童話」
鈴木さんの合いの手が入る

6曲目の「恋は三角木馬の上で」そして、あきたからという理由で、今日決めたという7曲目の
「銀河鉄道777」へとつづく。

 鉄道シリーズ第一弾「幽霊列車」第二弾「銀河鉄道777」そして、「第三弾は?」
の問いに、誰も答えない。
当たり前すぎてみんなだまってるんだよね。でも、鈴木さん
辛抱強く待ってたみたい。

しかし、誰も何も言わない。九州人は、私を含め、奥ゆかしいのよね。(^-^)

 てことで「成功率、野球にたとえるなら1割バッター」とされているらしい、鉄道シリーズ第三弾「ED75」へ。

そして、9曲目の「阿片窟の男」へとつづく。

 ここで、今ツアーの和嶋さん得意の持ちネタである、「ロボコン」話の出番とあいなりました。
○○テレビのアナウンサーが、アメリカでおこった殺人事件を、
ニュースで言ってた時の話で
そのアナウンサーが非常に動揺してたらしく「犯人は、コンピューターによって・・」というくだりを
「犯人は、ロボコンによって、犯行を・・・」と言ってしまった。という話。

「多分、これは、事件の内容からして、NG大賞には、あがらないだろうから」という理由で、
時あるごとに、だれにでも話しているとのこと。とても、たのしそうに話してくださいました。

 そして、10曲目の「黒い太陽」雄々しく、歌い上げてくださいました。
そして、11曲目の「サバス・スラッシュ・サバス」からそのままサバスのカバー曲「Iron Man」へと、

会場は、怒濤のごとく地響きたて押し寄せる、闘牛の群と化し、ステージと会場がみごとに一体化しライブの醍醐味を味合わせていただきました。
それから、今回のツアーでは、日曜、祭日には、必ず演奏されている、
13曲目の「暗い日曜日」へとつづく。


 10年間使っている、変な音がしている冷蔵庫型アンプの話から、
10年前、福岡でやったライヴ話へ。

イカ天で一緒だった、「ブラボー」と「宮尾すすむと日本の社長」と一緒に、博多で
ライヴをしたことがあるそうな。
鈴木さんがこの話をされら、和嶋さんも、「わも、丁度その話しようと思ってた。以心伝心だ」と。
さすが10年も連れ添う仲の良さ。

 終盤にはいって、14曲目の「人面瘡」15曲目の「地獄」テンポがどんどん早くなる。

16曲目の「エキサイト」にいたっては、ヘドバンのスピードも、加速度ついて、頭、ぶん殴り状態。

 アンコールの声とともに現れなかった鈴木さん。
「いま、セロリの歌詞を覚えているところ」だと。
んなわけない・・・・・でも、あ、ちょっと期待したりして・・・

 で、アンコール曲で17曲目「セロリ」じゃなくて「戦慄する木霊」18曲目のダイナマイト」で、終演。

メンバー紹介も「セロセロセロリー」で、「セロリ歌って」の声も飛ぶ。
「歌えたらよかったのですが・・・」と鈴木さん。ヲイヲイ。

あと、「TOKIOの長瀬くんに似てると言われる」と、うれしそうに、語ってらっしゃいました。(^-^)

身長と髪だけちゃん?=暴言、はい、慎みます。 研ちゃんのほうがいい男です。


いや~、実に、かっこよかったです~。他に言葉みつからないです。ありがとうございました。

 そんなこんなで、8時には、終わり、30分ちょっとで、出てこられました。
ところが、歩道がかなり広いため、おやさしい某お方は、車までの道のりがかなり、遠かったみたいで・・
いやはや、なんとも、お疲れのところ、どうも、すみませんでした。 そして、ありがとうございました。

寝台車で帰る予定が、最終の9時10分の新幹線に間に合い、その日の内に、家につくことができました。
新幹線の中で、曲順思い出しながら、書き出していったら、みごとに、覚えていました。
マリックさんの記憶術をちょっと使ってみました。


最後まで、お付き合いいただき、ありがとうございました。おつかれさまでした。

 

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